90周年のご挨拶

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90th anniversary greetings.
 今年の2016年4月を経て、当店「そば 霄蕎庵(しょうきょうあん)」は90周年を迎えました。
これもひとえにお客様方や関係商社様の協力や皆々様のおかげだと深く感謝しております。
誠に有難う御座います。
また今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 さて当店は現在私で3代目となります。が2代目である父(77)も未だ健在で元気に仕事を行っております。
私は正直早目に引退(65)したいです。続ける続けないは私の次の代に任せるとして、私は他にも挑戦したいことが色々あると感じます。でも私を早く超えて貰わないと代は譲れないので次の代には厳しく指導するつもりですが、息子(或いは娘婿)というものは元来父親の思い通りには成らないようですね。日本人としてキチンと脳が発達したら留学でもさせますかね(笑)
 「100年一区切り」という永い歴史の中では、勿論終戦(70周年)もありますし、5代目や6代目まで続いている、またそれ以上の立派なご商売や店舗も多数この世間には御座います。ですが当店は現在3代目、現在は私が蕎麦やうどんやお汁など全てを製造管理しており、また初代の祖父や2代目の父とはまた違った時代を(目線で)生きております。。いま言えることは、先の10年で当店は今いち度大きく変わる!ということ。具体的にはまだ言えませんが、現在少しずつ準備している事もあり今の業態を大きく上回る筈です。過去に私が行ってきた事が現在そうなっている様に・・・です。逆にそういったものでしか現代は戦えません。俗に言う「自営業は営業時間外が全て」ということです。

 経済の今を広く見れば、天候は梅雨の半ば過ぎ、4月には九州熊本県を中心とした地震による大災害があり、余震は未だに九州中に続いております。5年前の東日本大震災の復興もまだあります。先月5月26日より三重県において先進国G7伊勢志摩サミットが行われ、またアメリカ大統領としては初のオバマ氏による広島の被爆地へ訪問も行われ、その直後…イラクによる内紛や欧州EU各国の難民といった世界経済の戦争問題(特にUKのEU離脱を問う国民投票問題)、近年勢い余るほどだった新興国の中国経済の衰退、日本国内の(就業率など一部改善しだしているものの)デフレ脱却までには未だ及ばず(道半ば?)の日本経済事情、世界をけん引すべく先進7か国中の我が日本の議長国的な立場、などを理由に現・首相の阿部晋三氏は先の2017年4月より予定されていた消費税増税10%を2年半(30か月間)延期する表明を行ったところで、夏の参議院選挙(18歳以上からの初選挙権導入)も始まり+治安はかなり悪そうですが開催国ブラジルのオリンピックも再来月からスタート+追うように東京都知事選挙も(舛添氏辞任後)すぐ始まるところです。

「コレだけのことが、少なくとも今年の前半だけで起こりました」。・・・自分には関係ない!?とか、昔のままが良かった!?とか、友達がこうしたから自分も!? な~んて事はいま誰も言っていられません。
日本人のひとりひとりが自分で考え前へ進んで行かなくてはいけないと思います。昔は違いました!でも今は人と人との関係が薄く、また価値観も多様に及ぶので、外国のように家族単位のファミリータイズ(絆)に変わっています。
誰のせいにも出来ません。そして変わらなくてはいけないんだ!と思います。過去にすがるのは間違いです。
*私の場合はもう自分ではなく次の世代を考えています。

 本題の当店では、まず3年前の2013年4月18日より店内のリニューアル改装を行い、合わせ当店の旧・屋号も浅野屋より現・霄蕎庵に改名させ、そば屋の営業を再出発させております。
この3年は本当に忙しく営業をさせて頂きました。誠に有難う御座います。ですが・・・全てが上手く行った訳では決してなく、また全てのお客様に対応できている訳でも決して御座いません。がベストを尽くしています。
 特に週末は店内のサービスが忙しく電話に出る暇もない実情、これからの夏場は特に平日も「人手不足」の日々を送っております。ですが私はこれが実は人手不足ではなく「総合的な能力不足」だと自負しております。精一杯がんばっているつもりですが・・・まだまだこの少子高齢化の時代に対応しきれておりません。それでも決断しなくてはいけないのが経営者で現代です。(昨年TV取材を2つ辞退した理由のひとつ)

 自営業のそば屋を90年続けるということは・・・当人たちでも「想像以上に難しい事」なのだと毎日のように実感しております。たまに会う私の仲間の店も皆そうです。また90年の歴史の中で私がまだ3代目であることが「そば屋」の全てを物語っております。多くの犠牲と代償を支払うことになりますし、重圧に負けないとかく深い情熱が必要不可欠です。実際には挫折や諦めなくてはいけない事の方が多い筈です。そしてそれは私も妻も・・・過去にそば屋で身に付けたものではなく外の世界で鍛えて身に付けて来た能力で、もうすでに両親には手に負えない時代になっています。いま残念に思うのは「過去20年近く両親の店を手伝ってきたのにイザ私の番になった現在に両親は私の指示に従わない/聞く耳を持たない/業績など数字を見ない」ことです。

 また、デフレや少子高齢化の経済の中、地元では数多くの店が徐々に無くなり、古くから親しく接して下さった地元の常連様も徐々に去りはじめ、新しく地元にできたラーメン屋さんも2年と持たず、そんな中当店はこの地に一番古く留まっております。ご近所のどのお店も商店も無くなって欲しくはありません。(当店が営業時間を変えないことやそば屋飲みを超えない理由もそのひとつ)偉そうな事は何も言えないのですが無理をすると長くは決して続かないものです。

【お断りしたTV取材で語りたかった事】
 極一部のお客様が言われている通り、当店のリニューアルと改名がもし成功だったならば?・・・それは「妻のおかげ」です。私は妻と2012年(4年前)に結婚しました。私や両親=あさのやの力ではありません。妻の新しい視点です!私たちは「もう古くからのそば屋スタイル/業態」に囚われ過ぎて、イザ店を老朽化から蘇えさせる(継続させる)と成っても「具体的なアイデア」は何も持ち合わせていませんでした。コレでは店が衰退するばかりで、この厳しい日本の外食産業の中では残念ながら生き残れません。私は3年前にこの問題に直面して相当勉強させられました。また店の屋号を改名させたいと言ったのは実は母で、私の案はただ「ひらがなのあさのやにしたらどうか?/(私の性格が現れています。実はかなり古風です)」程度でしたが、周りの方々に「コレは君にとってチャンスなんだ、普通は君が名前を変えたいと持ち出す案件なんだよ!?」と説得され、結果その責任から数日間眠れなくなった事を覚えています。
(実際にこの3年間夢中で働いてきた当人たちは成功だったなんて実感は一切無いです/売上が以前よりも上がってもここ数年の原材料等の高騰は目まぐるしく実質の利益はさほど上がっていない=楽に感じない)
=古いおそば屋さんがよく犯すミスです=
ただ店を綺麗にさせただけではお客様は実際には喜びません。借りた借金もすぐ返せなくなります。大金持ちや道楽的なそば屋なら話は別ですが・・・実際にありますが《伸び幅》が足らず徐々に苦しくなって行きます。
 いちど店の家族や従業員でよくよく話し合って、喧嘩をしながらでも「店のコンセプトやウリ(個性となるもの)」を本気で見つけ、それを元に他店や仲間の店にも挨拶へ巡り、とうぜん経営者が赴き、本音で相談したり、議論をスタッフと重ねる「時間と費用」が絶対に必要です。(私の場合は改装する前から少しずつ仲間のそば屋は全て妻に紹介しましたし、自分の蕎麦に対する思いや夢を妻に語りました。その他にも数多くの店へ/連れまわった)・・・そこに「まだそば屋には染まっていない妻の新しい視点」=お客様の目線=それらを聞き入れるまだ若く柔軟な思想を持つ若きそば屋(将来性/希望)が絶対に必要です。それが既婚者です。
お客様もそれを一番期待します。独りというものがどれだけアンバランスなものか大多数の方が理解しています。
 昨年の2015年は私に大きな転機が2つありました。ひとつは、TV番組の取材依頼が2件。もうひとつは、度重なる怪我の連続というアクシデントでした。(但しコレは真摯に向き合えば仕事の腕を上げます)
TV取材の方は正直私は慣れています。経験もかなり豊富ですが、話を進めて行く過程の周りへの影響や先にも書いた当店の実情など総合的なことをリーダー的に捉え、また番組制作側の趣旨に合っていない理由で、今は辞退と成りました。(制作サイドには企画に合う店をご紹介したりも出来ます)1つが辞退、1つが自然と話が消えました。これはTV取材の過程でよく起こることなのです。
*先月までに幾度か私は海外において蕎麦や茶道を依頼され、一部の富裕層に披露して成果を上げていますのでこちらの方を取材同行された方が視聴者も喜ぶかと感じます。(私に通訳は不要ですが民放では難しいかも?)
とにかく膨大な費用が発生していますので軽々しく説明しませんが、今も国内で店を営んでいるその中で行う訳ですし、渡航先の企業や団体や知人達の都合も絡んで来ることになります。

マトメます。
①縁の下の力持ち=存在について
②5年先は誰にも分からない
③自分には「東京のそば屋全貌」は語れない
④「OO屋」という商売の行方
⑤我々次世代は始まったばかりで実は誰も背負い切れていない
⑥先の5年でそば屋は大きく変わる
⑦「すする」文化の重要性
⑧「もの造り」というもの
以上をすでに一部の方々と話し合って独自の見解を保持しております。協力者が大勢います。

 昨年の怪我の方は、最近になって原因が判明(道具の消耗)したので、自分の能力や精神面のせいにしていたのですが、初めから他人や物のせいにしなかった!?ので良しとしています。

 とにかく先の10年(100周年)まではしっかり足固めを行いたい!その時は仲間や皆様と盛大に祝える様に努力して行きたいと思います。重ねまして皆様の健康とご多幸を心よりお祈りすると共に、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

                       記 2016年6月23日(木) そば 霄蕎庵 3代目 伊藤隆志